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吉田鉄郎賞
酒井七瀬|修士論文
現代美術館における保存と継承に関する研究 -手法の体系化と求められる場の提案-
卒業・修士論文

1.研究の背景と目的

現代美術において、素材や技法だけでなく表現形態そのものが拡張している。「もの」の形状や質感だけでなく、そのコンテクストやアーティストの行為・身振りといった「こと」が作品となった美術史の文脈を考慮すると、物理的な「もの」と同時に、「こと」の保存と継承が必要となるであろう。

現代美術における保存と継承に関する議論はさまざまな学問分野で行われているが、分野によって重視する点が異なったり、展覧会やシンポジウムなどさまざまな形式で公開されているが、体系化はなされておらず、全容が捉えがたい。

本研究では、今日行われているこれらの議論と、現代美術における作品の構成要素を研究し、その手法を体系化することを目的とする。また、「もの」のための居場所である美術館とは異なる、これらの議論と実践を行っている機関を対象に研究を行い、保存と継承を可能とするために今後求められるであろう「場」に関して提案することを目的とする。

 

2.研究の構成

本研究では、美術作品における作品として捉えられる範囲の拡大と、作品によって生じる要素からその構成要素を研究することで、保存と継承の対象を明らかにし、構成要素を「もの」と「こと」に分類して、手法の体系化を行う。また、この手法を実現するために「求められる場」を定義し、その可能性がある機関に対する研究を行い、結論と今後の展望を述べる。

 

3.研究の結果

マルセル・デュシャンのレディ・メイド作品《泉》(1917年)が出展拒否された事件以来、作品が誕生する制作「プロセス」が作品化したことで物理的な「もの」以外のいかなるものでも美術作品と成り得るようになった。また、作家の技術を必要としない既製品でさえ作品となったことから、「もの」を交換しても作品の同一性を確保できる、オリジナルとレプリカの「差異の消失」がもたらされた。

その後、ミニマリズムによる展示空間が一体化した“インスタレーション”や、演者と観客が時と空間を共有する「ライヴ性」や身体を介して共感覚的に知覚される「身体性」という“上演”の性質を美術にもたらしたパフォーマンス・アート、参加型アートやアート・プロジェクトなど芸術と都市が関連して社会システムを形成する“活動”が誕生した。このように、現代美術は“上演”や“活動”によって作品として捉えられる範囲が拡大し、作品によって生じる要素と、作品を構成する要素は「こと」的なものへと変化していったことが分かった。

これらの構成要素を現代美術における保存と継承の対象と捉え、その手法の体系化を行う。

オリジナルとレプリカの「差異の消失」は、「もの」を交換しても作品の同一性が確保できる“交換可能性”を意味する。これは、従来の価値を定義していた美術作品に積層した時間である“歴史的価値”の消失に通じる。また、主に電気製品を用いた作品において、生産終了に伴い「もの」の交換が不可能となる事態も生じる。これに対して、予備となる部品を大量購入して備蓄したり、別の部品に置き換えるマイグレーションの手法がとられている。

「こと」的な要素に対しては、身体を介して生じる「ライヴ性」や「身体性」の保存と継承のために演者の身体行為の形跡が遺る道具類を“残余”として保存する手法、「もの」を介さず「こと」の“上演”を繰り返し“伝承”することで継承する手法もある。アート・プロジェクトなどの“活動”では、長期的なプロセスを文章によって記録する「ドキュメンテーション」の手法がとられている。これは搬入や再生の手立てともなり、保存だけでなく再現にも有効な手法といえる。以上のことを表1にまとめている。

また、近年の美術作品の再制作事例を調査すると、作家の逝去がきっかけとなっていることが共通しており、第三者が制作を追体験しながら保存と継承のために「指示書」や「ドキュメンテーション」の作成を行っている現状が明らかとなった。事業の報告としてシンポジウムが開催されることも多く、そこでは、作品を「こと」として継承する必要性と、それを実現するための議論を行う「語りの場」の設定が求められていた。これは、作品や作家が社会に対して持つ価値を共有することで保存と継承を可能とする環境の構築を行う「予防修復」の理論に通じる。

さらに、第三者による再解釈が重なることで、作品の形態が変化していくことも多い。第三者による再制作の行為は、新たな作品創造の行為とも捉えられる。そして、再制作の事例に関する研究から、現代美術における保存と継承に「求められる場」の条件として本研究では図1に示す3項目を得た。

「求められる場」のために、美術作品や作家を対象としたアーカイヴ構築の活動を行っている機関を対象に調査を行うと、慶應義塾大学アート・センターや京都市立芸術大学芸術資源研究センター、多摩美術大学アートアーカイヴセンターといった大学関連の機関に「求められる場」としての可能性を得た。これらは作品本体だけでなく、その関連資料によるアーカイヴ構築の他に、大学機関として教育を目的としたシンポジウムやワークショップといった「語りの場」や「創造」に該当する活動を行っている。これらの機関における活動場所の調査を行うと、活動の種類に合わせて適切な空間を選択して利用されているが、機関以外の大学関連施設や大学とは関連のない施設の利用が多く、機関内には活動が実施できる空間が不足していることが分かった。その結果、「求められる場」の3つの条件を集約できる可能性がある場として、本研究では大学博物館や大学図書館を提案する。これらが連携することで、資料体の周知が促進され、語りの場や創造の発生を促すと考える。

現代美術館における作品の構成要素と保存と継承手法の体系化

「求められる場」の条件

4.まとめ・今後の展望

作品の構成要素を明らかにすることで、現代美術における保存と継承の課題とその手法を体系化した。そして、保存と継承の実践といえる再制作事例の調査から、第三者が介入する再制作は新たな創造行為ともいえ、作品や作家に関するさまざまな資料体によるアーカイヴの構築と、作品や作家が持つ社会的価値を共有する場である「語りの場」によって成立する予防修復が求められていることが明らかとなった。

さらに、機関の調査から、教育的な機関が「求められる場」として考えられることが明らかとなった。そして、活動場所の調査では、活動を実施する空間の不足が考えられ、大学図書館や博物館に、現代美術における保存と継承に「求められる場」としての可能性を得た。

5.参考文献

1)田口かおり:保存修復の技法と思想,平凡社,2015.4

2)田口かおり:保存・修復のおけるコンテンポラリー・アート―チェーザレ・ブランディの理論とその「現代性」―,美学,vol.64.no.2,pp.73-84,2013.12

3)平諭一郎:美術と文化財の遺伝子-保存・修復理念再考,東京藝術大学社会連携センター平成27度紀要 bulletin,vol.2,東京藝術大学社会連携センター,pp.37-38,2015.8

4)平諭一郎:芸術 (アート) の保存・修復 = Conservation for the art : 未来への遺産 : 展覧会,東京藝術大学,2019.3