SELECTION
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非常勤講師賞(小川博央・許光範)
松野駿平
被斜体
卒業設計

私は卒業設計を通して、写真と建築について考えてきました。建築を思い浮かべる際に、実際に見た姿ではなく写真であることは珍しくありません。私たちは写真によって建築を経験し、写真を撮ることで建築を経験化しています。その時、被写体の妥当性を私たちは社会的慣習から決定しています。例えば、抱きがあれば開口がある、床と壁は常に直行している、写真に写っているビルが尖頭になっていたとしても実際にはそんなはずはない、と信じています。建築が無意識のうちに完結されて、安定したイメージが自動生成されています。つまり写真とは、建築の同一化の理といえます。
この同一化を解き、今見ている世界が想定内に現象してくる運動を停滞させることを目的として、丹下健三が設計した「フジテレビ本社ビル」(1996年)を展望台としてつくり替えました。

丹下健三の建築は、常に時代の記念碑足り得る明快なイメージを備えています。フジテレビもプロパガンダの視覚的な装置となって、政治と建築、その二極から大衆のイメージを特定の側面へと同一化させてきました。マスメディアも加担した建築を同一化させる写真にはふたつの功罪があります。
ひとつは象徴操作です。写真が本質的にもつ象徴性は、一方の対象を認識した途端にその他を背景へと後退させます。
もうひとつは、転倒操作です。投影面を自由に回転させられるのは、透視図法に代わる写真が成し得た最大の革命でした。カメラが仰ぎ見るということは、そこに写る像が俯くということ、すなわち転倒した世界の誕生と言えます。しかし我々は転倒した写真世界を現実世界と同じものとして捉え、無意識のうちに煽り補正を行って転倒を隠蔽しています。

ここでは転倒した世界を見過ごされてきた世界と見立て、転倒した軸で建築を組み立てていき、隠蔽されたフジテレビの側面を暴こうとしました。操作としては、フジテレビの低層部を残して床と壁を撤去し、マストからも露出させます。そこに、マストコラムを転倒させた状態でフレームのみとなった建物を複製していきます。また、既存の骨と球体のほか、象徴操作の背後でイメージからこぼれ落ちた既存の諸要素を洗い出し、ふたつの世界座標をまたぐ紐帯として付加しました。

断面

低層部には主にショップ、ギャラリー、オフィス等を入れ、上部にはガラスのレストランや中央に200mの空中コリドール、既存の球体に加えてふたつのリング状の展望デッキを付加しています。

安定した水平世界から脱して、今、自分の目の前から世界が倒れていく、そうした感覚から限られた側面に収斂されない、建築のイメージの横滑りを目指しました。

講評
下川太郎

傾けた大きなストラクチャーを吊り上げている形自体の完成度が高くて、実際にそれだけでも成り立つように思います。それを不安的に見せる必要があったのか、疑問が残りました。

富永大毅

写真の罪を問うているのに、最後になぜ写真で表現しなかったのか説明が必要だと思いました。CGが補正されていないとは限りません。視覚的なことを僕らに問いかけるならば、表現媒体の選択は重要だと思いました。