SELECTION
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桜建賞
楊井愛唯
日吉台地下壕博物館
卒業設計

戦後77年が経過した今、戦争経験世代の減少とともに、歴史は人からではなく物から伝えられることが増え、戦争の記憶の風化が進んでいると感じます。実際に戦時中に使用され、そのものに歴史がある戦争遺跡の価値は高まっており、歴史を強く訴えかけるものであると考えました。戦争遺跡を用いた空間により、戦争を追体験できる博物館を提案します。

対象とする戦争遺跡は、慶應義塾大学日吉キャンパスにあります。海軍の司令部や航空本部を擁した地下壕の施設は日吉一帯に掘られ、全長は5kmにも及びます。今回計画するのは、その一部の連合艦隊司令部地下壕です。地下壕の内部は当時のまま残っていますが保存状態の悪化もあり、中に入れるのはここだけです。博物館化することで保存のかたちを模索し、多くの人々に地下壕の存在を知ってもらいたいと考えました。

平面

現在の地下壕の状態に合わせ、保存状態が良い場所はできるだけ手を加えず、塞がれたり壊れているところは積極的に操作を行いました。まず太平洋戦争期の日本の歴史を5つの章に分けて年表を作成し、当時の記録や証言から人々の感情を抽出していきました。そしてそれらの感情を追体験しながら歩み進むように、博物館を設計しています。
第1章は、日本軍がアメリカ軍への奇襲攻撃に成功し、太平洋の各地で快進撃を続けた時期です。時間を遡るように反時計回りに地下へ下ると有機的な展示空間が連なり、来館者は戦争初期の幸福感や高揚感を体感します。

第2章は、ミッドウェー海戦以降、戦勢が停滞していく時期です。急な下り坂や暗くて長い通路が続き、日本が敗戦に傾き始めた不安や緊張感を感じながら地下壕の中を進んでいきます。

第3章は、アメリカ軍の猛進により、いよいよ日本軍が追い詰められていく時期です。それでもなおプロパガンダなどにより、国民は戦争に陶酔させられます。その強大な集団感情の現れとして、通路とは対照的な大空間を損傷の激しい場所につくりました。

第4章は、国民にも身近に戦争が迫り、降伏へと向かっていく時期です。地面を掘り起こして地上から地下壕を露出させ、電信室だった場所で撃墜された特攻機との最後の通信音を聞かせます。電信室と特攻機の指定基地を結ぶ軸をつくり、また竪穴空気孔を円筒の空間にして空へと意識を誘い、当時の特攻兵に思いを馳せます。

最後に現在の日吉の景色を眺め平和を感じ、地上から地下壕という過去を見下ろしながら、77年前の出来事を追想します。戦争という歴史について考えるきっかけになることを願います。

配置

講評
塚田修大

当時の記録から20もの感情を抽出し、それにより戦争遺跡を空間化する作業は大変だったと思います。批判もあるでしょうが、一方向の歴史的価値観は強度をもったストーリーゆえに共有され得る、という提示の仕方が良かったと思いました。

下川太郎

ひとつのストーリーに沿って空間を組み立てていったことが素晴らしいです。ただ、メインのストーリーのほかにアナザーストーリーがあっても良くて、それはそこを巡る人が主観的に解釈する余地を残すことだと思います。

野島秀仁

広島の原爆資料館は戦争の惨状を資料によって伝えるものですが、戦争の記憶が残る空間を通して過去の人がどのような気持ちでそこを使ったのか、訪れた個々が想像し自分の解釈で戦争を受け止めることができる博物館です。時系列で体験させる意義があると思います。