SELECTION
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奨励賞
池田桃果
川に舞う -都市の裏側から広がる劇場化計画-
卒業設計

私たちは無意識のうちに仮面を被り、「私」を演じています。今やソーシャルメディアの日常化により「私」が複製可能であり、時にそれは人々を苦しめ、本来の「私」を見失っています。演じるということは他者がいるからこそ生まれる行為であり、大勢のうちのひとりとして生きる私たちにとって、都市は大きな舞台といえるのではないでしょうか。
本設計では江戸時代の芝居町の歴史を振り返り、箱に閉じられた近代劇場構造を解体し、演者と観客、第三者までもが主軸に入る、中心のない劇場空間を提案します。

敷地は御茶ノ水駅近郊の神田川沿い約230mです。都市の縁であった江戸時代の神田川と状況は異なるものの、変わり続ける都市を許容する不動の川は、永遠に日常の縁であり境界であるといえます。再び川へと舞い、橋や電車、船から切り取れる何気ない毎日を豊かにすることを目指します。
操作としては、低く水平に伸びる景観を残しつつ、空き家を解体し、新たに劇場を挿入します。既存の解体方法は、建物内部を覆い隠すファサード(仮面)を剥がし、余白、纏う、侵食をキーワードに3パターンで展開します。培われてきた日常と新たに挿入する非日常を道で結び「通い路」と名付けました。

劇場で上演する芝居は、歌舞伎を想定しています。時代物、世話物、舞踊の歌舞伎の3つのジャンルを楽しむ「みどり」という上演形式にするため、それぞれの特徴に合った3つの劇場を設計します。

平面

時代物の劇場は、従来の形式を継承した舞台構成で、「桟敷」という舞台を囲み、観客が身を乗り出すような一体感を演出します。近代劇場構造ではアノニマスな観客も、まるで作品の一部のような存在へと変化します。

世話物の劇場は、「積む」という演者への敬意、めでたいことへの希求心を表す要素を取り入れ、舞台と観客を無造作に積んでいきます。演者の臨場感を肌で感じ、劇空間は個人の認識により多様に変化し、誰もが特等席となる空間を得ます。

舞踊の劇場は、セリフがないからこそ空気感が劇場を超えて伝染し、道行-花道という線的な舞台上の一連の時間の流れに身を任せ、ハレの場がいつの間にか見る人の意識内に潜在化していきます。

見せ物のなかで観客という立場がどこから生まれるのか、一様な見方ではないからこそ実像と虚像のオーバーレイが生まれ、様々な仮面をもった私という存在を肯定できる場となることを願います。

講評
野島秀仁

劇場空間の外部化によって、夕暮れに舞台が浮かび上がるような幻想的な光景も想像されますが、劇場空間に伴うハレとケの時間を考えると、圧倒的に長い裏方の時間帯がこの建築でどのような存在となり得るのか、もうひとつ提案があると良かったと思います。

富永大毅

インターネット上で多くの人々が自身の生活を開示して承認欲求を高めている現状を考えると、この場所に舞台を挿入するという簡単な操作によって見る・見られるの関係性が変わっていくのはとても批評的だと思います。