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桜建賞
井坂颯希|卒業論文
遊歩者の眼差し 映画演出における無意識的空間の顕在化 −「窓」「扉」「階段」の建築要素とその映画的表現の分析を通じて−
卒業論文

1. 研究背景・目的

「現代における空間は、感情の領域には関係がなく、感情的には局外のものと見なされてきているように思われる」(1)これはジークフリード・ギーディオンの言葉であるが、それは機能性や利潤などという資本主義社会が支配する空間、および高速化する情報社会において顕著である。しかし、空間とは本来、感情やイメージという側面が、ハードとしての空間と共存し、この二つの領域は両義的に存在するものである。今日では、このような観点がますます疎かになってきている。

本論では、ヴァルター・ベンヤミンの提唱した「遊歩者」という批評的態度を持った人間が空間を逍遥するように、映画演出において顕在化する無意識的な空間を観察することで、不可視だが空間に内在している感情的、経験的、現象的、詩的なイメージを再認識する事を目的としている。

2. 研究概要

今まで建築と映画の接点は、知覚、都市、舞台美術、空間論、メディア論など様々な観点から、その空間イメージが研究されてきたが、映画演出という立場から建築におけるそのような空間のイメージは映画批評等で数少なく論じられる事はあるもののまだ体系化されていない段階にある。

本論では、映画演出のなかに登場する「窓」「扉」「階段」という建築的要素を通して、空間における性情的イメージを検証する。また、演出論、建築論、映画批評、建築批評、身体論などの文献による多角的な視点から、人々によって空間がどのように捉えられているのか、空間の知覚や認識についての事象を明らかにする。

 

3. 研究結果

①演出=無意識的空間の顕在化

フレーム内の被写体との距離、ショットの継続性等の時間感覚、あるいは、逆説的にそのフレームの中に何が映らないべきなのかというオフ・スクリーンの認識も空間=演出において最も重要な思考のひとつである。

演出とは、フレーム内外の空間にある事物、行為、感情、イメージを顕在化するものであり、また見えないものを顕在化させるという「眼差し」そのものである。

②機能性や即物的なものに回収されないもの

「窓」は、内藤廣氏によって「人の尊厳を支える場所」(2)、オットー・フリードリッヒ・ボルノウによって「夢想にふける」(3)場などとして捉えられている。このように「窓」「扉」「階段」などの建築的要素には、ただの機能性に回収されないイメージとその解釈が潜んでいる。

 

③両義的空間 / 両義的眼差し

空間は「見えるもの」と「見えないもの」から成り立っている。「見えるもの」だけを議論の対象とする考え方だけでは真の意味で映画も建築も空間も語ることはできない。無意識的で目には見えないが、確かにそこにあるイメージを私たちは意識的に見つめる必要がある。 「アウラ」のようなもの(4)、 「生きられた」感覚(5)、 「人間の何か体臭のようなもの」(6) 、人間の営みから「分泌」するようなもの(7) 、「経験的なもの」、「感情的なもの」といった、空間の「詩的なもの」が建築一般には欠如している。そして、物理的な空間にそのようなイメージを重ねることができる「両義的なまなざし」こそが批評性である。建築は「論理と非論理」、「思考と感情」を両義的に統一する「詩」と「批評性」を取り戻さなければならない。しかし、「詩」「ポエジー」とは「建築」という権威的で制度的な言葉を前にした途端、馬鹿馬鹿しく、不誠実なものとして捉えられ、あたかもないもののように吹き飛んでしまいかねない。だからこそ、それらの裏付けとなる圧倒的な批評性と観察が必要になるのである。

4. まとめ
イメージや感情といった建築空間の中に確かに存在しているが見ることのできないものを含んだ無意識的な空間を見つめることの重要性、また同様にそのような空間に対する批評的態度の回復の必要性を提示した。

図1『ぼくの伯父さん』より(出典:『ぼくの伯父さん』/監督・脚本・製作ジャック・タチ/撮影ジャン・ブールゴワン/1958年/フランス/120分)

図2『恐怖分子』より(出典:『恐怖分子』/監督エドワード・ヤン/脚本エドワード・ヤン、シャオイエー/制作リン・ドンフエイ/撮影チャン・ツァン/1986年/台湾/109分)

5. 参考文献

1)太田實訳、ジークフリード・ギーディオン著『新版 空間 時間 建築』丸善株式会社、2009年

2)オットー・フリードリッヒ・ボルノウ、大塚恵一・池川健司・中村浩平訳『人間と空間』せりか書房、1978年

3)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年

4)ヴァルター・ベンヤミン『複製芸術時代の芸術』晶文社、1999年

5)多木浩二『生きられた家』青土社、2000年

6)「藤塚光政の写真術を読む – インタビュー、聞き手/伏見 唯、贄川 雪(まとめ)、藤塚光政『僕の見方、撮り方』TOTO通信、2021年、https://jp.toto.com/pages/knowledge/useful/tototsushin/2021_newyear/interview/(最終閲覧日2023.1.25

7)塚本由晴、小池昌代『建築と言葉-日常を設計するまなざし』河出書房新社、2021年