LECTURE

Super Jury 2020 ショートレクチャー
木内俊克(木内建築計画事務所)
REPORT

今日は、キーワードを3つ挙げて、それに沿って最近のプロジェクトを紹介します。

ひとつ目は「単位のばらし」です。
この「オブジェクトディスコ」(設計:砂山太一・山田橋と共同、2016)は、マンションの外構を街の方に使ってもらえる場所にしたいというユニークな要望から始まりました。機能としてはベンチなどで人が佇める場ですが、ここではより積極的に外への接続を考え、場所をつくる単位を変えることを試みました。小さなオブジェクトをたくさん配置して、それらと周りの風景を少しずつ関連させています。例えば、ある方向から見ると、周囲の風景と敷地内のオブジェクトの主な色が揃っているように見えるといった工夫です。設計とは、今何をつくっているのかを問い直す作業と考えるとおもしろいと思います。

ダンサーを中心とした「whenever wherever festival 2018」というフェスティバルの舞台美術です。北千住にある既存建物を改修した「BUoY」という劇場で、多様なダンサーやアーティストの交流/創発というフェスのコンセプトを増幅する仕掛けとして、この空間にある既存の柱梁に合わせたグリッドを活かし、6つの領域の中で複数のプログラムが同時進行的に進んでいく、広場のような使い方を提案しました。
ダンボールでインスタレーションをつくっていたり、展示をやっていたり、その脇でディスカッションが行われていたり、レクチャーをやっているすぐ手前でダンサーが踊っているというような、同時多発的で複雑な空間です。めまぐるしく膨らんだり縮んだりする空間単位を、参加者が散りばめられた什器や道具により場として認識できるような仕掛けを考えました。
今、第17回ヴェネチアビエンナーレ日本館のチームに参加していて、キュレーター・門脇耕三さんと様々な議論をしています。建物が建つ時には、例えばあるリビングがその建物自体よりも、前面道路とより密接に関係するような場合があります。建築を独立したものとして考えるより、周辺環境と連関するいくつかの場が集まったものと考えるなど、建築の単位をばらして、新しい単位の可能性を探ることに、様々な可能性があると考えています。

ふたつ目は「力能の係留」です。「whenever wherever festival 2015」は、先ほどと別の舞台美術のプロジェクトです。予算が10万円くらいしかなかったので、皆さんが持っている物を寄せ集めて現地に吊り込むことだけ決めてスタートしました。デザインとして成立させるために使ったのがコンピュータのシミュレーションです。持ち込んだ素材を文字通りそのまま使いながら、どうつなげば最小限の手数で天井を覆う構造として成り立つのかを解析してつくりました。

これは、建築家の萬代基介さんによる「Prototyping in Tokyo 2018」の展示什器をお手伝いしたものです。鉄板のテーブルを支える点を変えることで、素材の自然なたわみから滑らかな曲面をつくりました。床に固定できない脚を斜めに溶接して、立てた時にすべてまっすぐになるというコンセプトを萬代さんからいただき、シミュレーションによって実現させています。鉄板自体は巡回展の輸送時には平らに戻り、次に別のものとして使える可能性を残したまま、ある瞬間の形をデザインに活かしているわけです。

《こんにゃくはこんにゃくゼリーに似ている》(2015)はアートワークです。左側が展示写真で、右側が計算した結果です。布のある部分を引っ張った形を予測し、それをそのまま実際につくっています。一見偶然でしかないような材料の持つ、自然な、瞬間的なふるまいを建築の中に落とし込み、構築された状態にすることに興味があります。

最後は「サービスの粒立て」です。乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室による展覧会「小さな風景からの学び」(TOTOギャラリー・間、2014)では、「サービス」という言葉でコンセプトが説明されていました。建築を建物という単位ではなく、環境へのサービスの提供として考えようというものです。アフォーダンスのよう身体的な側面だけではなく、記号的な面なども含め、場の持っている性質を積み上げていくことによって建築を捉えることができればおもしろいと思います。今、設計中の福祉施設では、建物をそうしたサービスの束として捉え、ひとつひとつのサービスは他の建築にも転用できるようなプロトタイプ化ができないかということに興味を持っています。例えば、コロナ禍の換気設備への対応や考え方は普遍的な「道具」として、どこにでも使えるパーツになります。
[2020年9月26日 @日本大学理工学部建築学科]