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駿優賞
金澤恒明
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卒業設計
物語とその舞台の設計を往来しながら制作を行う。同じ主題に根をはる異なるメディアが、影響を与え合うことでお互いの特性を反映することの可能性を探ろうと考えた。
往来により物語と舞台はお互いに変容する。殴り書きの企画書からあらすじが生まれ、シーンの連続になった。敷地にある目に見えない軸線が幾何学を纏い、やがて空間を持つボリュームとなった。
往来を経て、最終的に漫画と展望台という2つの制作物が出力された。
1. この作品が生まれたきっかけは?
建築のストーリー性に興味があった。
2. これまでやっておいたほうが良かったと思うこと、もしくはやっていて良かったと思ったことは?
色々な人とエスキスをしたこと。
3. 今後の抱負は?
建築の映像性について考えていきたい。
卒業設計/2024年度
Q.シークエンスとストーリーが行き来する作品だと思うが、ストーリーが進んでいくにつれてシークエンスが変わったりもしているのか。
▶︎コマ割りを決める際に、ここは魅せたいと思う大きいコマの前は細かくコマ割りをしている。それに伴って空間も変形することはあった。
Q.建築の価値について聞きたい。建築も漫画もメディアとして捉えられているが、作っていく中でなにか変わった点はあったか。
▶︎建築はお金も時間も人もたくさん必要なので、目的がないといけないとずっと考えていた。でかいだけの建物に何の意味があるんだという主人公と同じ立場で自分は考えていたが、そこに無理矢理、逆の立場であるおじいさんの主張を持ってきて話を進めていったら、いつの間にかそのおじいさんの主張が理解できるようになった。
綺麗なだけじゃだめだけど、見たいものがあって、そこに空間があって人が住み着くようになれば、最初にこのがらんどうの箱が用意されていてもいいんじゃないかと今は肯定できる。
建築のスタディの過程で、内部空間をCGで確認しながらボリュームを検討していくのと、どこが違うのか。
建築の動機は何という問いに唯一答えているのが彼だと思う。これは毎回続けなければいけないし、今後技術が身についてくれば違う表現になるかもしれないがとても評価できると思う。
この試みは建築のスタディプロセスと、建築の媒介メディアとしての提案だと思う。その場合ストーリーは(仮)なのじゃないかと思う。明日になればそのストーリーは変わるし、読み手によって建築の新しい読み解き方を提案していくことが可能なのでは。
▶︎ストーリーは変えていく気はなくて、最初から一貫している。それを伝えるためにボリュームの変化などを行っていた。
故郷の風景を幾何学にしている試みはとても面白いと思うが、元々の風景をどう幾何学にしたかというのはどこで表現されているのか。
▶︎少ないですが、少年時代に見たこの狭いトンネルや、藤森照信さん設計の浜松市秋野不矩美術館が丘に菱形に突き刺さっている風景などを幾何学に変換しました。
Q.CGで検討するよりも奥深いように感じる。脚本、絵コンテ、漫画と移行してスタディが進んでいったと思うが、その中で発見したことがあれば教えてほしい。
▶︎絵コンテから漫画に移行する際に、絵コンテ時に描けていなかった空間まで想像して描けるようになった。
Q.脚本時にあったものと、漫画側や絵コンテ側が変わることはあったのか。
▶︎絵コンテのほうが描いているシーンとしては多いのですが、漫画にする際に前のシーンとつなぐために帳尻を合わせた。だんだん言いたいことや伝えたいシーンばかりが残ったので、漫画のほうでも建築のほうでも純度があがっていったように思う。
Q.人に伝えるために色々な視点があって建築のスタディとしても良いと思った。コマ割りにする時の基準はあるのか。
▶︎絶対魅せたいシーンは大きくし、それが映えるように他のコマを小さめに設定している。建築の空間も魅せたいコマの部分は大きな空間となり、それ以外は細かかったり小さい空間になっている。
Q.コマ割りをやり直すと空間にも影響があったのか。
▶︎その往復はあった。出てきたボリュームが格好良くなかったこともあり、その場合コマ割りにフィードバックしたりもした。
最初は背景が多く描かれていて、だんだん人が多く増えてきて、最終的に景色だけになる。その描き方は意識して描いたのか。
▶︎自分としても感情が高ぶり、キャラクターの顔やジェスチャーを見せたいというのがあった。最後は建築が全然登場せず、景色だけになるのも意図していた。地元の山の風景がすごく好きで、それが良く見えるように横長の広場を設計した。
漫画を手法として使っていると言っているが、手法のようには見えず、プレゼンテーションとして使っていると思う。シナリオがはっきりあって、書きたいことがブレてない。それを書くために漫画というプレゼンを使って表現をしている。建物を作ることの原動力が故郷への思いや、それに気づいてもらいたいというメッセージだと思う。手法と言ってしまうと、再現性があるのかという話になってしまう。
主役である僕が全てである。もう少し登場人物を増やして三人称的な視点が入っても良かったと思う。
絵の上手な人って、スケールを持った建築に落とし込むのが苦手な人が多いと思う。1年前は金澤君もそこにすごく苦労していたのだが、今回そこが進化したと思う。なにかきっかけがあったのか。
▶︎研究室に所属し、建築が好きな仲間達と建築をたくさん見たり、作品集なども多く見るようになったこと。