SELECTION
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桜建賞・非常勤講師賞(廣部剛司)
林深音
泪庇 -青春東京を取り戻すネオ・アジールの構築-
卒業設計

現在の日本は、流れに身を任せて生きていける一見安定した世の中です。しかし、未曾有の状況に見舞われた時、日本社会は思うよりもずっと脆く危ういものであることがわかりました。これは個人が本質に気づくことを恐れ、その場しのぎに過ごしていたことが原因ではないでしょうか。街や人に目を向けても、物理的に豊かな世に身を任せ、自分自身の心と向き合う時間が減っていると思います。
この現状を踏まえ、自分の感情に正直に向き合う人間らしい行為を許容してくれる、新しい意味での日常からの逃げ場が必要だと考えました。そこで、避難所として定義されることもあるアジールという概念に注目しました。古くから私たち人間の心に内在する、アジールの実体を建築的に考察し、現代的なアジールを模索しました。

事例の特徴を分析すると、アジールが迷える人のための避難の場としてだけではなく、気づきの場としての役割を担っていることがわかりました。また、建築的な空間を分析すると、アジールは実態を持つものではなく、様々な出来事のつなぎ目や境界、滲み合いの中に発生するものであるということがわかりました。
アジールを構築する場として、東京の縮図とも言える新宿を敷地として選定しました。新宿は様々な領域が入り乱れる区域であり、多様な人が訪れる場所です。計画地は約540m の遊歩道です。この細長い敷地は、健康的なイメージの新宿御苑と情に溢れる新宿の街の境界に位置しており、異なるふたつの領域が混じり合う場です。ここはかつて、江戸の宿場町として市民たちの賑わいに溢れた非日常的なアジールの場でしたが、現在は御苑を模倣した遊歩道があるだけで十分に利用されていません。そこで、この場所に現在におけるアジールを再構築することに意味があると考えました。
建築をつくる行為とは、一般的には線を用いて空間を定義していくことですが、アジールは線で定義することができません。そこで、アジールが境界や滲み合いであるという定義に沿い、面を使って空間同士の境界を考究しました。まず、恣意的なドローイングを行い、生まれてきた自由な面同士の滲み合いを考察しました。その後、面を重ね合わせる長さを変化させ、最終的に敷地や人々の動線を考慮したドローイングへと変化させました。出てきた色の濃淡に沿って等高線のようなものを描き、それを元に空間の深度を決定します。

地上のエリアには、公衆トイレや区役所の派出所、宿場町の歴史ギャラリーなどを設け、ここに訪れるトリガーとなるプログラムを配置しました。地下のエリアには、高低差のあるスロープと、暗渠となっている玉川上水の一部を開放し、地上からの光や雨がところどころ落ちる空間が広がっています。訪れた人は、晴れの日には小さな吹き抜けから空を見上げ、月のスポットライトを浴び、月の光の強さに気付くかもしれません。吹き抜けから雨が落ち、それによってできた水面の広がりをしゃがんで眺め、空間と対話するかもしれません。雨の日と晴れの日によって空間の表情が変化し、人々の心理に訴えかける場になることを目指しました。

地上の施設を利用するために訪れた人は、特に用途のない領域に迷い込み、ただ道を抜けていくだけでもよく、立ち止まって空間と対話をしてもいい。空間自体が人を包み、人と対話をするようなアジールを目指しました。

アジールは、実態として設計者が定義できるものではありませんが、いつもそこにあり続けることができるという建築の最大の魅力を生かし、人々にとって心の拠り所となることを目指しました。

講評
廣部剛司

水彩を用いた時にどのようなグラデーションが生まれるのかという試行から、検討の手法が発見されています。恣意的に、またはチャンスオペレーションとして描いているのではないところがポイントです。描くなかで地形の起伏や穴の位置を想像し、決定していくプロセスは、たくさんのスタディ模型を作成しているような感覚だったことでしょう。

高橋堅

ドローイングなど偶然にできる形や模様から着想を得て建築を考える自由さには共感します。こうした手法と既存の街をうまくリンクさせることができれば、濃淡や図柄に必然性が生まれてくることになると思います。無意識に行う作業に自覚的になって、現象として顕れるものの内に秘められた仕組みを発見し、それをドライブさせることができれば、説得力のある提案になると思います。

齋藤由和

理工学部では、ロジカルに言語で組み立ててつくるという方向性がポピュラーだと思いますが、抽象的なものを抽象的なまま扱い、スタディを進めていくのも建築のひとつの醍醐味だと思います。実社会では模型やCG、図面等を用いることが多いですが、同じようなことが水彩で行われています。濃淡を高低差や人の交わりに置き換えて検討し、アジールという難しい対象を捉える記述方法で、その先にゴールを見つけられていると感じました。