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駿優賞
深作京之介
遊歩者の家
卒業設計
「遊歩者の家」は、都市を歩く中で生じる〈遭遇〉と〈遅延〉に着目した住宅群である。目的へ向かい効率的に移動する都市の中で、些細な現象によって行為がわずかに引き留められる瞬間を建築空間として定着させる。複数の住戸は共用部を持たない構成としており、住人同士は姿ではなく気配や環境の変化を介して間接的に関係づけられる。
住宅という建築の内部に、小さな都市のような状態をつくり出すことを試みる提案。
1. この作品が生まれたきっかけは?
都市を歩いているとき、現代ではスマートフォンの地図を頼りに最短距離で移動することが当たり前になり、都市は「通過する媒体」として扱われつつあると思います。しかし、目的地へ向かっているはずなのに、わずかな違和感によって無意識に立ち止まったり、遠回りしてしまう瞬間がありました。「そうした小さな引っかかりの中にこそ都市の豊かさが残っているのではないか」という考えからこの作品が生まれました。
2. これまでやっておいたほうが良かったと思うこと、もしくはやっていて良かったと思ったことは?
「自己分析」これまでの作品を振り返ることで、自分がどのような空間や考え方に惹かれてきたのか、その傾向を客観的に整理することができました。また、自分の考えに共感してくれる人へどのように伝えればよいのか、設計をどのように表現すれば興味を持ってもらえるのかを考える機会にもなりました。単に作品をつくるだけでなく、自分のやりたいことの基盤やポリシーみたいなものが明確になったと思います。
3.今後の抱負は?
ものが語る力を信じ、誤解されない言語能力を身につけたいです。
卒業設計/2025年度
都市に対する懐疑的な視点からスタートしたプロジェクトだと感じましたが、結果、都市に対しての解は示されていない気がした。
▶︎確かにそうかもしれません。ただ都市に対しての新しい気づきのようなものを与えられる可能性があると思っています。
ヴァルター・ベンヤミンが、19世紀のパリのパサージュから受けた衝撃って、都市がインテリア化しているということだと思う。恐らく今まで体験したことのない途切れない巨大なインテリアの体験。ただ、今回の提案を見ると切断に満ちているので、逆の体験を想起された。
▶︎当時のパサージュと比べて現代の都市はもっとバラバラ、次々と新しいものが登場する。逆にその隙間はほとんど意味をなしていない。
造形が面白い。都市も遊歩者の目線を持つことが必要だと言うのであれば、この建物群そのものがひとつの都市だと言ったほうが良かった。例えば、人も住んでるし、学校や病院もあると言い切って馬鹿でかい立体都市を作るのはどうだろう。
現代の人間と都市との関係性を再構成するための家だという明確な目的があると読み取った。住宅の内部の構成も緻密に計算されたプランがあったので、その中で身体感覚を回復するプログラムを行うというのはユニークな取り組みだと思う。
8人という人数が僕は良いと思っている。限定的なほうがこの空間が活きそう。形態が恣意的なのが気になるが、もし全て四角いボリュームに置き換えたとしても、こういうポコポコした形が積み重なっている中でしっかり導線を縫い込んでドキドキする体験が作れていると思う。