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5号館の思い出
by SHUNKEN編集部

~あのレム・コールハースやダニエル・リベスキンドが5号館に!!~

text= 佐藤慎也 教授

5号館との出会いは1989年、大学2年のとき。設計者である宮川英二先生は既に他界されていて、建築計画の教科書を書いた先生という存在でした。しかし、所属研究室の指導教員だった小谷喬之助先生が5号館の設計に関わっていたことから、設計や建設のときの話をよく聞かされました。その中でも特に印象的だったのが、シェルを用いた特殊な基礎を施工するときのエピソードです。技術が確立していない中で、等厚のシェル基礎をコンクリートで打設する現場の様子は、ほとんど笑い話にしか聞こえませんでした。

5号館では、設計や論文など、さまざまな作業も行いました。卒業設計でインスタレーション的な作品をつくったときは、深夜にスライド室の椅子を廊下にすべて出し、実際に設置したものを写真に撮って提出しました。そんなに悪い作品ではなかったのですが、図面や模型が並ぶ中で写真だけの卒業設計は、当時の先生方には全く見向きもされませんでした。

作業のために多くの時間を過ごした研究室には、カラフルな間仕切り壁や本棚があり、それらは5号館の中で最も好きなデザインでした。現在の1号館の設計者である高宮眞介先生の助手をやっていた頃、全く同じデザインで本棚を増設したものです(今でも設計講師室の奥に残っています)。

5号館は、数々の建築家のレクチャーを聞いたり、講評を受けた場所でもありました。その中でもいちばん印象に残っているのは、1992 年のレム・コールハースのレクチャーです。今では信じられないような話ですが、現在のスライド室1でレクチャーが行われたのです。それは大学院生のとき、「フジタ・都市講座」という冠講座が開催され、世界中から2年間で12 人の建築家が日大理工にやってきました。ダニエル・リベスキンドラファエル・モネオアルヴァロ・シザなど、今でも超一流の建築家ばかりです。コールハースが来たのは、『S,M,L,XL』の出版(1995 年)より前のことです。その大著で展開した「ジェネリック・シティ」に通じるような意味で、5号館のことを「コンテナ・ビル」と評価したのです。コールハース特有のアイロニカルな言い方であり、5号館が建築学科教員の総力を集めたものであることを考えると、それを複雑な想いで聞いたことを覚えています。コールハースはこのように語りました。「私がコンテナ・ビルと呼んでいる、全く中立的な日本の建物。それは特に醜いとも言えない、無のようなものです。その中に美しさが非常に限られて存在しています。……日本の建物の大半は中立的なものであり、私達の注意力に何かを要求するものでもなければ、感情に何かを強要するものでもないのです。中立であるから。それはただそこにあるだけなのです。」

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