受賞者インタビュー
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「2018年度日本建築学会賞(業績)」受賞記念インタビュー:重枝豊 教授 「レモン展」のはじまりは学生時代の発案から
by SHUNKEN編集部

重枝豊 教授 × 松永直美 レモン画翠代表取締役

(インタビュアー:古澤大輔 助教、加藤千晶 助手)

左から、重枝先生と松永さん。重枝先生とレモン画翠との関係は、社長の代が変わっても続いている。

 

-今回、長年開催されてきた「学生設計優秀作品展」、通称「レモン展」の建築設計教育に対する貢献が認められ、「2018年日本建築学会賞(業績)」が贈られました。この賞は、「1978年に学生の発案とレモン画翠の協力によりはじめられた」とあります。 この学生が、 学生時代の重枝先生だった。先生とレモン画翠は、そもそもどんな関係だったのですか。

松永:その昔、 重枝先生が学生だったころのレモン画翠は、 日本大学や東京大学の建築学生たちが遊びに来ては、 よく「こういうものをつくったらいいじゃないのか」と提案していたそうです。それで製品化されたものは、いくつもあります。 レモン画翠のスタッフには 建築を学んだ人がいませんでしたから、 そういう提案をどんどん取り入れていきました。

重枝:銀糸が入ったスケッチブックをつくってくれ、と頼んだことがありました。ドットが入ったスケッチブックはあったけど、 印刷されないグリッドが入ったスケッチブックがなかったのです。 お願いしたらつくってくれました。 レモン画翠の二代目の社長、 松永和夫さんは画家だったので、 当初は藝大や高校の美術関係に画材などを売っていたそうです。 それが、 僕が学生のころに、 建築にも力を入れはじめました。

松永:レモン画翠の二代目の奥さんは翻訳家だったこともあって、当時、アメリカのハーバード大学の建築学科用の模型材料店 「シャレット」を訪問して、 日本でははじめて模型材料を仕入れて、 売ることをはじめました。

重枝:当時、レモン画翠がただのチラシを配っていたのを見て、 それではもったいないと、大川三雄先生たちと、 2年生から駿河台に来る学生たち向けのリーフレットをつくりました。設計課題の資料に合わせて、 レモン画翠の紹介や建築を学ぶための参考文献とかも入っていて。今の「デザイン基礎」の冊子の原型ですよね。

 

卒業設計で大学を超えた交流をつくる3年生の重枝くんがレモン画翠に直談判

-そこからレモン展というものは、どのように はじまったのですか。

重枝:当時は、他の大学で、 どんな卒業設計がつくられているのかを全く知ることがで きませんでした。雑誌「近代建築」で、毎年、図面だけは見ることができたのですが、 模型はもちろん、 それ以上のことを知る術があリませんでした。もし、他の大学の先輩たちの卒業設計の作品を実際の図面や模型で見ることができれば、 自分たちの卒業設計に向けてどれだけ剌激になるだろうかと思ったわけ です。

もうひとつ、 大学を越えた建築学生同士の交流がなくなってしまった、 という背景もありました。学園紛争が起きるまでは、 これからの建築はどうあるべきか、ということを議論し合う「日本建築学生会議」という組職があリました。 ところが、学園紛争によって、各大学のあらゆる運動体に対して疑惑の目が向けられ、ほとんどがなくなってしまった。でも、卒業設計を軸に大学同土がつながることがで きれば、 これは運動体としては見られないの ではないかと。 この企画を持って、 店長の加賀敏博さんに お願いして、 学部3年生の僕は、 レモン画翠の社長さんに会いに行ったんです。 プレゼンしたら、「なんでレモン画翠がそんなことをしなくちゃなんないの?」って(笑)。でも、きちんと説明し続けていたら、「じゃあ、 1回だけやってみよう」と。予算はそれほどなかったので、 学生が主体となリ、設営も自分たち の手で行い、 場所をレモン画翠に提供しても らうことになりました。 そのことを近江榮先生 に伝えると、 早速いろんな大学に連絡をしてくださって、 実現に至りました。

-いくつの大学が参加したのですか。

重枝:第1回は、 旧日仏会館を会場に、 7 大学が集結しました。大学ごとに見事にカラーがあることに驚きました。日大理工は堅めの建築だったのですが、 東大などは、 アメリカの新しい傾向を取り入れながら、 この先の建築とはどのようなものかを考えた作品で した。日大理工では、 世界の傾向など教えられていなかったので、 ショックでした。

-最初は、日大理工の学生たちだけで運営 をはじめたのですか。

重枝:もちろん、自分だけではできません。 そこで、 まず「学生交流会」という団体をつ くりました。 これは、 1年生から4年生まで の誰でも参加できるもので、 基本は2ヵ月に 1回講演を企画していきました。 近江先生にお願いして、 前川國男さんや菊竹清訓さんなど、 名だたる建築家の方々に来ていただきました。毎回、 講師の建築家の資料を青焼きでつくっていました。2回連続で参加しなかったら、次回からは参加できないというルールがあって、どの回も満席でした。 そういう学年を越えた組織の活動の一環として、 レモン展もつくっていきました。

-1回だけということではじまったレモン展は、その後も続いたのですね。

重枝:次の年も、「もう1回だけ!」と言いながら、 させていただきました(笑)。2回目は、800人も来場者があって、 入場制限をするほどの熱気でした。やがて、 社長が役に立てるのであれば、 と継続させていただくことになりました。 続けていくと、 学生だけではなく、 建築関係の会社で働く人はもちろん、駿河台のまわリに住んでいるご婦人たちも来てくださるようになりました。 地域とこんな形でつながれたことも驚きでした。

松永:その後も順調に運営されて、 会場も、旧日仏会館からはじまって、 文化学院磯崎新さん設計の旧お茶ノ水スクエアと移っていったのですが、 2000年ごろになると参加学校の増加と規模の拡大で、 一時期はお茶の水を離れました。 同時に協賛をいただくことも難しくなり、 継続して開催することが難しくなりましたが、 学生組織委員会の先生方の提案で、 出品・登録料をいただくようになり、会場も明治大学が無償提供してくださることになって、 なんとか今まで継続することができました。

 

他の卒業設計展と違うレモン展の強み
レモン展は建築を学ぶもうひとつの場

-レモン展は、その時代の学生たちに ‘‘教育の場 ’’を提供してきていると思うのですが、多くの卒業設計展がある中で、レモン展にはどのような特徴があるのでしょうか。

松永:今はたくさんの卒業設計展があります が、 まずレモン展は、 誰もが自由に参加でき る卒業設計展ではありません。 各大学で優秀な作品が1点選ばれ、 それらが一同に集結するものです。 そこに最大の価値があると考えています。 だから、これまではその中から賞を決めることはしませんでした。 ただ、 数年前から、 組織委員会の先生方からの提案で、 賞を与えようということになりました。 賞を決定する講評を行ってしまうと、 大学対抗といった空気が生まれてしまうの で、 私たちは反対したのですが。

重枝:レモン展に参加する学校は、 大学もあれば専門学校もあります。 それらの優秀な作品たちを、 みんなフラットに見ることができる。こんな卒業設計展は、他にありません。 中には、 ようやく参加できることになったという学校もあるんです。 だから、 そこに展示されているものを見て、 ランク付けするものではないんです。 そのため、 レモン展で賞を与える講評の中で大切なのはプロセスなんです。 決して、賞を決めることが目的ではない。そこで交わされる議論のやりとりに価値を置きたい、 ということを共有しています。

-僕が学生のころは、レモン展に出展できることが、建築学生にとっては最大のステータスで、それは社会に出ることと同義でした。出展する学生たちは、名剌を交換する文化があっ たり、大企業の方々も見廻っていて、インターンに誘われる光景がそこかしこにありました。

松永:学生さんたちの作品の傾向も随分変わってきました。 それこそ昔のものは力強くて、 作品が宇宙へ行ったり、地中に潜ったり。 それが、今はどの学生の皆さんも、目線がデザインというよりは、 人の営みや人間としての視線に重点を置いたものが多いです。東日本大震災以降、本当に変わってきていると年々感じています。 昔は、 4年間のすべてを卒業設計に注ぎ込む感じがあったのですが、 そういう部分でもおとなしくなったように思います。 昔は男子学生がほとんどだったの に、 今は逆転してしまいました。

重枝:変わりましたが、 大切なのは、各大学から選ばれた個人が、 今の時代に対して、どんな提案をしているのかということです。おとなしく感じるのは、 だんだん時代に対する取り組み方、 提案の仕方が、 みんな似たり寄ったりになってきていることもあると思いま す。 そういうスタンスを示せば、 最初のところは評価を得られるだろう、と思い込んでい る学生が増えてしまっている面もあるかもしれません。

しかし、どのような状況になったとしても、レモン展は継続していかなくてはいけないと考えています。 レモン展は、コンペとは違います。 コンペは、 次の時代のために何が提案できるかということですが、 レモン展は、 そのひと個人の本当にやりたいことを、 学生時代の最後に、社会に披露できる場所なんです。 だから、本当は時代に合わせるのではなく、あなたのやりたいことをやりきる場なんだよ、ということなんです。 その理念は、残していきたいですよね。

-卒業設計は、時代と呼応しているものだという一方で、作者の世界観が表明されるべきものだと思います。レモン展は、最も多くの学校から、その世界観が集まり、それが40 年以上アーカイブされていくところに、さらなる価値があります。今後のレモン展に期待することはありますか。

松永:学生さんたちの作品が、 表現として軽く見えてきているとしても、 どれもが真撃に社会に対して向き合っていることがよくわかります。逆にそのことに対して、いつもすごいな、 と尊敬させられます。 作品を通して、 社会に対して、 自分はこういう見方をしているんだ、と語りかけるものを一同に見られることは、私たちとしてもとても幸せなことです。 これからも、 できるかぎり継続して開催できるよう 尽力させていただきたいと考えています。

 

しげえだ・ゆたか
1954年、 山口県生まれ。 1977年、日本大学理工学部建築学科入学卒業。 1980年、同大学院理工学研究科博士前期課程建築学専攻修了。 1980年、同大学院理工学部海洋建築工学科副手。 1983年、同大学院理工学研究科博士後期課程建築学専攻単位取得退学。1989年~、日本大学理工学部建築学科。

まつなが・なおみ
レモン画翠代表取締役社長。東京都生まれ。2016年、大阪大学大学院博士後期課程工学研究科環境・エネルギー工学専攻単位取得退学。 2017年、大阪大学大学院工学研究科環境・エネルギー工学博士取得。 2010年~12年、日本建築学会理事。

 

※本受賞は、 下記の連名によるもの

・ レモン画翠
・ 小林正美(明治大学教授)
・ 重枝豊(日本大学教授)
・ 学生設計優秀作品展組織委員会
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