受賞者インタビュー
アーカイブ
2019年度JIA日本建築大賞受賞記念インタビュー:古澤大輔先生の自邸「古澤邸」が受賞 想定外が起こる場所を目指して
by SHUNKEN編集部

インタビューイー=古澤大輔[淮教授]

インタビュアー=井本佐保里[助教]、泉山塁威[助教]、大西正紀[駿建編集委員]

日本建築大賞は、JIA(公益社団法人日本建築家協会)が日本国内における各年度の優秀な建築作品を選定し、 特に建築文化の 向上に寄与し、 芸術・技術の両面で総合的な価値を発揮した建築 作品に対して授与するもので、 この20年間には、 妹島和世、 中村光男、 藤本壮介、 北川原温、 新居千秋、 三分一博志、 山梨知彦、 陶器浩一、 古谷誠章十八木佐千子、 工藤和美+堀場弘、 坂茂、 原田麻魚+原田真宏、 小堀哲夫(敬称略・受賞順)など、 第一線の 建築家が受賞してきました。 そしてこの度、 この栄誉ある受賞者の 仲間入りを果たしたのが古澤先生です。 今回は受賞作品である、 自邸 「古澤邸」を訪ね、 お話をうかがいました。

インタビュー前半は、 リビングでお話をうかがった。 右奥にテラスが見える。カーテンひとつない開放的な空間。 窓の向こうは隣家の壁と樹木が。

井本:日本建築大賞の受賞おめでとうございます。 受賞されたことで、 どんなことを感じられましたか。

古澤:まず、 素直に嬉しかったです。 これまであまリ賞にノミネートすることを積極的に行ってこなかったので、 大きな受賞ははじめてでした。 『新建築』などの雑誌には、 合計25回ほど掲載していただいてきたのですが、 メディアヘの掲載だけではなく、 きちんと評価をいただける賞を目指すことの大切さに気付いたのです。

そもそも僕は、 大学院を修了してすぐに設計事務所を立ち上げたので、 今年で19年目とキャリアが長いんです。 でも、 周りからは代表作がないよねと言われることが多かった (笑)。 結果的に今 回、 自邸 「古澤邸」での受賞になりましたが、 40代前半でひとつ自分の代表作と言えるものができたこと、 それをこうして評価いただいたことはとても嬉しいです。

井本:柱梁のラーメン構造の構成は、 「東十条の集合住宅」あた リから取り組まれている形式が進化したものでしょうか。

古澤:それまで、 多く手がけていた集合住宅では、 戸境壁や間仕切りが出てくるので、 自然と壁が主体の発想になります。 だから、 RCの壁式構造でつくることが多かったのです。 それをやり尽くしたと感じることもあって、 あるときから柱と梁でのみデザインしてみようと考えるようになりました。

ただ、 集合住宅と柱梁構造は、 あまり相性が良くないんです。柱は大きくなってしまうし、 それが壁の中に納まりません。そこで、思い切って、 壁と柱というものを独立して扱ってみようとチャレンジしはじめました。 その最初のトライが「東十条の集合住宅」でした。これが意外と面白かったんです。その後、 同じような考え方で、 「武蔵小杉のオフィスビル」と 「下高井戸の産婦人科」を設計しました。 ここでは、 病室の空間にコンクリートの柱がドーンと落ちています。 一見、 伺のため?と思うかもしれませんが、 ベッドとエントランスを緩やかにゾーニングしたり、 その柱にさまざまな機能を持たせています。

「古澤邸」外観。 行きどまりの道路の先の正方形の敷地に建つ。

井本:この自邸も、 テラス脇に大きな柱があリます。 柱で囲われて、領域が仕切られているような感じが心地良いです。

古澤:産婦人科には赤ちゃんを授かって幸せな気持ちの方、 不妊治療で苦労されている方など、いろんな状態、気持ちの方がいらっしゃるので、 通常、 患者さん同士があまり見えないようにすることが求められます。 でも、 僕は絶望してる人、 希望に満ち溢れてる 人の両方をきちんと扱うべきだと考えました。 両者を調停するためのコンクリートの柱によって、 互いの気配が感じられながらも緩やかなゾーニングができています。 また、 このプロジェクトを通じて、コンクリートがすごく優しくなる時があると学びました。 自邸のコンクリートの柱たちも、 本当にすごく可愛いやつなんですよ。 暮らすほど、 柔らかくなってきてます (笑)。

井本:室内の梁の上にはいろんなものが置かれていて、 外の梁の上では苔が生えています。 コンクリートですが、 自然素材のように感じます。 自邸は、 病院のあとに設計されたのですか。

古澤:同時進行でした。 そもそもこの自邸の設計をはじめたのは2008年。 だから、 10年間設計していたんです (笑)。

井本:そんなに時間のかかったプロジェクトだったのですね!? どんなふうに考えられていったのですか。

古澤:少し話が飛ぶのですが、 そもそもは、 「世の中が不寛容すぎる」という問題意識が発想の源でした。 それを考えていったときに、 フランスにある「アルルの円形闘技場」のようなものをつくりたいなぁと思っていました。 それは、 軍事施設や集合住宅に転用されたものでした。

スタディをはじめると、 まずは都市とのインターフェースのバルコニーに注目して、 自分の敷地には何も建てず、 ひたすら周りの建物にバルコニーをくつつけてる案をつくりはじめました。 すると、自分の敷地が道路のようであればと思いはじめて、 行きどまりの先にある敷地が気になっていきました。 自邸だけど、 自由に誰でも入れるような場所になればな、 と。 そうしたら、 自然と正方形の敷地の真ん中に縦動線の階段を設け、 その階段は誰でもアクセスできる構成になっていきました。階段は誰でも使えるから、バルコニー にも誰でも入れる。 住宅なんだけど、 都市施設みたいな感じ。

井本:外階段やバルコニーに、 外から入ったり使ったリすることができる構成は確実に引き継がれていますね。

古澤:当時、 この計画案でSDレビューの浅倉賞という建築家の登竜門的な賞を受賞しました。 それで、 これを建てるぞ!となったのですが、 元々ある建築物を別のものに見立てて転用していく「アルルの円形劇場」の世界に接続したい想いを強めながら、 設計を続けていくこととしました。そのプロセスだけで5年かかリました(笑)。

もちろんその間も家族といろんな話をしました。 当時は自分の設計事務所を地下に入れようとか、 奥さんの英語教室も入れて、 生徒がバルコニー経由で来たらいいねとか、 いろんなことを話していました。 でも、 どんどん時間が過ぎていき、 最後はきちんと竣工させることが奥さんからの一番の要望になりました。

「アルルの円形劇場」を指し示す古澤先生。

井本:最終的に住宅だけの機能になったのはどのような理由だったのですか。

古澤:事務所案はスタッフが増えてしまったのでなくなリました。シェアオフィスやシェアハウスなどにして収益物件にすることや、 要 の両親とともに二世帯とか、いろんな可能性も考えました。 当時は、長く住むことも考えていませんでした。 でも、 2人目の子どもができて、 住環境を変えるのは良くないなと考えはじめたことで、 住宅だけの機能になりました。

コンクリートが建ち上がったときに、 躯体だけの見学会をやリました。 狭い正方形の敷地に寸法を究極まで詰めながら設計をしたので、 実際に住むことができるのかという不安もあったのですが、見学会で、 子どもも大人も楽しみながら躯体をずっと上り下りしているのを見て、 なんとか建築になると、 このときようやく確信が持てました。

井本:さまざまな寸法をギリギリまで詰められる際、 スタディで頼るのはやはり模型でしたか。

柱と梁で構成されている。 梁の上にはさまざまなモノが置かれている。

古澤:スケールの確認は模型です。 でも、 模型でも良くわからないさまざまな納まりや壁の連なり、 曲がった階段の手すり、 ボルトの位置など、 ディテールは全部スケッチアップです。

メインの天井高が、 2,400ミリメートルなんですが、 1階と3階は1,900ミリメートルです。 いつも大学で学生たちに確保するように伝えている天井懐は、 ここではありません。 だから、 この家は教材になりません(笑)。

1階の木製階段越しの光景。 スラブの下は浴室、 上はリビング。

想定外の場所を残したかった

泉山:この土地とはどのように巡り会ったのですか。 行きどまりにある環境が面白いです。

古澤:ずっと行きどまりにある正方形の敷地を探していて、 ある日、この敷地に出会いました。 行きどまリになる道路は「位置指定道 路」と言われるのですが、 その使い方の可能性をいろいろ考えています。 こ近所さんと餅つきをやったり、 ゼミをそこでやったりして楽しいですね。 今のアフタ ーコロナの状況で、 この位置指定道路を活用すべきだと改めて痛感しているところです。

実は設計途中の2016年くらいから位置指定道路のリサーチをしていました。 たとえば杉並区内だけで、 4,000~5,000箇所あるんです。 それで、 学生たちとともに、 位置指定道路という私道に面した住宅にどんな可能性があるのかを考えてまとめ、 建築雑誌に発表したりもしました。 今は大学院の課題にもしています。

泉山:近隣の方々は、 最初から前の道路を使うことには好意的だったのですか。

古澤:住みはじめて最初に餅つきをやったのがきっかけでした。良かったら参加してくださいと、 お手紙で伝えました。 道路で近隣の人たちとお酒を飲むなんてこと、 ないですもんね。 皆さんとても楽しんでくださっていました。

大西:今、 見渡すと、 柱と柱の間、 梁の上にさまざまなモノや家具が置かれています。 また、 具体的な部屋以外の場所にも、 日常的に人が居る痕跡を感じます。 こういうモノたちゃ、 家族の居場所というのは、生活されていく中で、何となく収まっていったのですか。

古澤:そうですね。 引越しして1ヶ月くらいは、 とにかくモノたちは定位置を求めて動き続けていました。 今でも、 家具はよく移動しています(笑)。 お客さんが増えたら動かして、 最大限に場所を 確保する。 僕はあそこの梁の上に座るのが好きなのですが、 そういう家族の居場所も最初はどうなるのかわかりませんでした。

泉山:これまで最大で何人がいらしたことがあるのですか。

古澤:1階のお風呂場をクロークにして、 入れ替わりで80人くらいが来たことがありました。

井本:すこいですね。 図面には部屋の名称が明確に記載されていません。 設計段階で想定しきれなかったということでしょうか。

古澤:そうですね。 設計中は主寝室と考えていた部屋も、 竣工後に子どもの遊び部屋に変わリました。 そんな感じでした。

井本:各フロアで室内と室外の取り合いが異なります。 もう少し室内を広くするということもできたわけですよね。

古澤:容積率を最大限使えば、 もっと広くすることもできました。奥さんもそれを希望していたので、 設計中は、 「なんでここがテラスになっちゃってるの?」と何度も言われました。

井本:それは将来的に増築するために、できるだけ最小限でスタートしようという発想だったのですか。

古澤:想定外の場所を残したい気持ちが大きかったんです。 想定外を許容できる建築が魅力的だと思います。 もっと言えば、 そういう都市が魅力的だと。

井本:なるほど。 各フロアにテラスがあり、 さらにそこを大きな柱が貫いているから、 小割の空間が点在した形になっています。 居場所がつくりやすくなっていますね。

泉山:実際に、 中2階のような場所を含めると、 8層の家にいるような感じがあります。

古澤:実際はスラブが反復していて、 厳密にはスキップフロアではないのですが、 梁の断面がひとつの層に見えたのですよね。

大西:あえて使われ方を明確に規定しない。 その塩梅が良いからこそ、 この自邸に身を置いた人が、 その人なりに使い方を見立てられる。 僕もそういう建築が良い建築だと思います。

古澤:設計した僕自身が 「ここをこう使って」と思ってないもんだから、 来た人も自由に使い方を発見できるのかもしれないですね。確かに全部意図して設計をしていたら、 その空間を体験する人にも伝わってしまいます。

泉山:一般的に建築家が自邸を設計するときは、 クライアントが自分なので、 すべてが思い通りにできそうです。 規定しやすい状況であっても、 そういう選択はされなかったのですね。

古澤:そうですね。 おっしゃるように、 絶対的に自分がクライアントで、 管理下におけるからこそ、 あえて規定しないことを選択したくなったのだと思います。 正方形の敷地にこだわったのも、 正方形が好きだというのが半分。 でも、 もう半分はコントロール下に置きすぎないようにしたかったという想いがありました。 外階段から各フロアにアクセスできるようになっているのは、 設計開始時にフロア毎に貸そうと考えていた名残でもあったりします。 だから、 いつかそのようにするのもありですよね。 ちょうど昨日は、 奥さんと娘と一緒にテラスでこ飯を食べながら、 将来はここを飲食店にしたらどうかな?という話をして、 いろんなアイデアが出ていました。

井本:室内とテラス、 さらに柱梁といったレイヤーが重なることで複雑な陰影が視界に入ってきて、 とても居心地が良いです。 一般的に、 一室は一様な照度になってしまうけど、 ここは違います。 まさに陰影の中にいるような感じです。

泉山:カ ーテンがほとんどないですよね。 夜は光がだいぶ外に漏れ出るのですか。

古澤:夜は室内の光が外にもれますが、 外からは意外と見えません。 外階段やバルコニーでワンクッションあって、 さらに窓際にいろんなモノが置かれているので、 実質見えないんです。 また、 夜は外と内の明るさが同じになるので、 実は日中よリも広く感じるんですよ!

自邸前の位置指定道路での実験は続く。 最近はゼミをここで行っている。

コロナを糧にして景り切る気持ちを

井本:テラスも気持ちがいい!目の前の隣家の木に手が届くのも面白いですね。

古澤:いいでしょう。 このテーブルは、 一昨日、 壊れていたものを 子どもたちと一緒に天板をつくり替えました。

泉山:コロナの自粛期間中、 ご家族の過ごし方はどうでしたか。

古澤:奥さんとはこれからどうなるのかと良く話をしていましたが、子どもたちはそんな悩みもストレスもなく、 普段と変わらない印象でした。 家の中にみんな居るときも、 それぞれの居場所でいつものように心地良く過こしていました。

井本:私は自宅で夫とともに在宅ワークとなり、 自宅内に二人分のワークスペースをつくるのが大変でした。 使っていなかった部屋を 夫のスペースにしたり、 押し入れの一部を子どものスペースにしたり、 長時間一緒に居るために試行錯誤でした。 そう考えると、 この自邸は家の中でいくつもの小さな居場所があるので、 事後的にコ ロナの状況にも運していたと言えますね。

古澤:自宅の中のお互いのプライバシーの取り方は、 これまではそこまで考えなくても良かったけど、 今後も長時間一緒の状態が続くとなると、 変わってきそうです。

井本:最後、 学生に向けてメッセージをいただけますか。

古澤:学生の皆さんは、大学の授業でも、また日々の生活の面でも、たくさんのストレスを受けていると思います。 辛いことがたくさんありますよね。 ストレスから塞ぎこんでしまう人もいると思いますが、 今回のコロナは世界中のすべての人が同時に渦中にあることなので、 どうかポジティブに捉えてほしいなと思います。

普段より時間ができたはずだから、 自分を見つめ直すいい機会にもなりますし、 新しいことにチャレンジしやすい面もあります。当たり前だと思ってきた、 家族の形についても、 いろいろと考えることがあるでしょう。 今、 こうしてこれまでの日常を疑って考え続けていることは、 今後の人生で必ず役に立つはずです。 一緒に乗リ切っていきましょう!

古澤先生がよく座る梁の上には座布団と書籍たちが。 向こうにテラスが見える。

 

by SHUNKEN編集部
ハッシュタグ
👉
WHAT'S SHUNKEN WEB
  • TOP
  • SHUNKEN WEB
  • 2019年度JIA日本建築大賞受賞記念インタビュー:古澤大輔先生の自邸「古澤邸」が受賞 想定外が起こる場所を目指して