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建築設計(佐藤光彦ゼミ)研究室の佐藤光彦先生(理工教授)が考える”建築の面白さ”
by SHUNKEN編集部

それは建築なのか?

卒業設計

今でも、そのときの光景を鮮明に憶えています。大学を卒業して数ヶ月後の夏、私は薄暗く蒸し暑く天井の低い空間に佇み、黒々とした広大な床に描かれた夥しい数の白線を見つめていました。そこは、就職した伊東豊雄建築設計事務所ではじめて担当した「横浜風の塔」の鉄骨製作工場での原寸検査(※1)の場でした。何の経験もない若造だった私は、設計監理の担当者としてただひとり、経験豊富なゼネコンの監督と鉄工所の主の前で判断を迫られていたのです。ここでの私の決定が、そのまま建築物として実現してしまうことへ畏怖の念を抱きながらも、不思議と冷静に振る舞いつつ、修正する円弧や焦点の組み合わせをその場で考え指示していました(※2)。卒業設計では、とても建築には見えない記号の群れのような抽象的な図を描いていた私が、リアルなスケールと共に具体的な物質として立ち上がる建築の現場にはじめて立ち会った瞬間でした。

我々は人間なのか?』は、90年代に『マスメディアとしての近代建築』で一世を風靡したビアトリス・コロミーナの近著(※3)です。前著でアドルフ・ロースル・コルビュエの建築を対照しながら、建築が写真や展覧会などのメディアによって非物質的な意味を増殖させ変質していくことを描き出した著者は、マスメディアからソーシャルメディアヘと移行しつつある現在において、建築を含むさまざまなデザインと人間の歴史全体を射程とし、その関係を再定義することを試みています。

今、私たちは、ますます非物質化していく社会の中で、建築あるいは建築を設計することの意義について言いようのない不安のただ中にいます。そんなときに勇気付けられるのは、「建築に何ができるのか」(原広司)(※4)や「すべては建築である」(ハンス・ホライン)といった半世紀ほど前の建築家の言葉であったりもします。圧倒的に遅いメディアである 建築について知り、それでも建築によってしかなし得ないことを現代において見つけていく作業はとても魅力的なはずです。だから建築は面白い、のでしょうか?

 

※1:当時の鉄工所には、工場の小屋裏を利用した「原寸場」と呼ばれる空間があり、製作する鉄骨図を床の上に原寸で描き、形状や仕口の納まりを確認・修正した上で、フィルムに写し取って鉄骨を製作していました。現在ではCAD上で検討したデータを原寸でフィルムに出力しています。

※2:「横浜風の塔」の平面は楕円形ですが、鉄骨も表面に貼られるアルミパンチングメタルのスクリーンも、楕円で製作することはできません。円の組み合わせで近似させるのですが、それぞれに製作可能な制限があり、工場と現場でのジョイント部分を考慮しながら、製作・施工精度もふまえつつ、極力滑らかな曲線となるような調整が必要でした。ちなみに「横浜風の塔」は、昼間はメタリックなモニュメントのような存在ですが、夕刻になると周囲の音や風などの環境情報をリアルタイムに光のパターンの記号として表す装置としての建築でした。

※3:夫である建築理論家マーク・ウィグリーとの共著。ピー・エヌ・ピー新社,2017年

※4:『建築に何が可能か』学芸書林,1967年

以下、冒頭部の抜粋:『建築とは何か』という問いは、『人間とは何か』という問いが不毛であると同様に、行動の指標とはなりえない。もし私たちが人間について問うなら、『人間に何ができるか』を問うべきである。同様に建築についても、『建築に何ができるか』を問うべきであろう。

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