海外研修旅行レポート From SHUNKEN 2020 Jan. vol.47 no.4 「旅というのは、空港に着いた時に終わるのではなく、周囲の景色が、わざわざ目を凝らすこともない日常に戻った時に終わる」小説家、角田光代の言葉である。満員電車に乗り、人混みを掻き分けて大学に通う、忙しない東京での生活に戻った今、思い返せば、夏の研修で過ごした…
海外研修旅行レポート From SHUNKEN 2020 Jan. vol.47 no.4 今までで間違いなく、一番多く建築を見た24日間だった。はじめて来たヨーロッパに最初は慣れることができず、言葉や街並み、食事などにいちいち戸惑っていた。しかし、次第に慣れていき、帰国したときには日本の言葉、街並み、食事に戸惑ってしまうほど、ヨーロッパの文化…
海外研修旅行レポート From SHUNKEN 2020 Jan. vol.47 no.4 私は絵が好きで、美術館によく遊びに行きます。今回の海外研修旅行のコースは、佐藤慎也先生の引率による美術館を巡るコースだったので、私にとって楽しみは多かったです。研修旅行中は、現代アートの美術館を中心に観て回りました。現代アートというと、なんだか意味のわか…
大学の外の世界だからこそ学べることを 受賞記念インタビュー From SHUNKEN 2019 Oct. vol.47 no.3 インタビュイー:今村雅樹特任教授インタビュアー:古澤大輔助教 ―大学連携による教育プログラム「建築トークイン上越」が、「2019年日本建築学会教育賞(教育貢献)」を受賞しました。おめでとうございます。今村先生は参加講…
2019年日本建築学会作品選奨 めぐみ会第一仏光こども園新園舎 瀬戸健似(プラスニューオフィス代表取締役) 近藤創順(プラスニューオフィス取締役) インタビュイー:近藤創順 非常勤講師 インタビュアー:山中新太郎 教授 -2019年日本建築学会作品選奨の受賞おめでとうございます。まずは簡単な自己紹介をお願いします。特に、本学出身ということで…
海外研修旅行レポート From SHUNKEN 2019 Jan. vol.46 no.4 各時代を代表する名建築をなぞりながら、ヨーロッパ全土を駆け抜ける旅。大川先生の先導のもと、脈々と続くヨーロッパ建築史の大いなる川に身を委ね、身を以てその体系を学んだ24日間であった。語りたいことは山ほどあるが、旅に一貫してあった「文脈」という視点を中心に振り返りたい。…
海外研修旅行レポート From SHUNKEN 2019 Jan. vol.46 no.4 青く乾燥した空の下、勧誘の声、車の音、観光客の視線、あまい匂いが五感を刺激する。しかし、町中に佇む教会には、暗がりの静けさがあり、一歩入ると異世界だった。中でもシュテファン教会の高く天まで伸びるシャフトから、リブがあらゆる方向に延びていく様子は、枝分かれする木々のよう…
重枝豊 教授 × 松永直美 レモン画翠代表取締役 (インタビュアー:古澤大輔 助教、加藤千晶 助手) 左から、重枝先生と松永さん。重枝先生とレモン画翠との関係は、社長の代が変わっても続いている。 -今回、長年開催されてきた「学生設計優秀作品展」、通称「レモン展」の建築設計教育に対する貢献が認められ、「2018年日本建築学会賞(業績)」が贈られま…
今回のSHUNKEN WEBは、本学の卒業生が2018年日本建築学会作品選奨および2017年度JIA新人賞を同時受賞された際に行ったインタビュー(『駿建』2018年10月号に掲載)の再掲記事となります。(JIA新人賞は馬場さん単独の受賞) 同学科の渡辺富雄教授、古澤大輔助教(いずれも役職は当時)がインタビュアーとなり、受賞に至る経緯と受賞された建築「東松山農…
本杉省三 特任教授 × 佐藤慎也 教授 (インタビュアー:堀切梨奈子 助手) 左から、佐藤先生と本杉先生。 佐藤先生は、本杉先生の研究室(小谷・本杉研究室)出身であり、 11年間、本杉先生の研究室の助手を務めていた。 -受賞の対象となった『劇場空間の源流』 (2015、鹿島出版会)を読んでみて、場所、時間、コンテンツなどが幅広い一方、全体を通し…
「2018年日本建築学会大賞」 受賞インタビュー 斎藤公男 名誉教授 × 岡田章 教授 × 宮里直也 教授 (インタビュアー:廣石秀造 短大助教(現:建築学科准教授)、大西正紀(mosaki)) - 「2018年日本建築学会大賞」の受賞おめでとうございます。今回の受賞は、単体の作品や研究についての受賞ではない、とうかがいました。 斎藤:今回評価…
~あのレム・コールハースやダニエル・リベスキンドが5号館に!!~ text= 佐藤慎也 教授 5号館との出会いは1989年、大学2年のとき。設計者である宮川英二先生は既に他界されていて、建築計画の教科書を書いた先生という存在でした。しかし、所属研究室の指導教員だった小谷喬之助先生が5号館の設計に関わっていたことから、設計や建設のときの話をよく聞かされました。…